アイルランド島にあるイギリス「北アイルランド」とは?
2019/11/29
皆さまはイギリスの正式名称をご存知でしょうか?「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」、この長い名称を一度は聞いたことがあると思います。そして「なんでこんなに長い名前なんだろう?」と疑問に思った方もいるのではないでしょうか。
今回はそんな疑問を解決するため、「北アイルランド」について、その歴史を中心に、イギリスのEU(欧州連合)離脱を巡る最大の難題「北アイルランド国境問題」にも触れながら、ご紹介したいと思います。
北アイルランドの基礎データ
イングランド、ウェールズ、スコットランドとともに、イギリス(連合王国)を構成する一地域で、アイルランド島の北東部を占めます。面積は1万4,130平方キロメートル(福島県と同程度)、人口は約182万人(2012年)(熊本県(2010年)と同程度)。首都は東岸のベルファストで、北アイルランド人口の約4分の1が集中します。
出所:各種資料をもとにアセットマネジメントOne作成
北アイルランドの成り立ちと歴史
アイルランドと北アイルランドが分かれた背景
16世紀のイギリスにおいては、プロテスタント系住民が多数派でした。アイルランドはカトリックの国ですが、イギリスからやってきた人たちが多い北部では、プロテスタント系住民が多数派となりました。この宗教の違い、そしてイギリスに対して連合を望むのか、独立を望むのかの立場の違いが、その後の内戦や紛争を引き起こすきっかけとなってしまいました。北アイルランドとは、アイルランドが1920年代にイギリスから独立するに際し、宗教と立場の違いから、イギリスに留まった北部の地域を指します。
3500人もの死者を出した悲劇「北アイルランド紛争」も、北アイルランドの人口の3分の2に達するプロテスタント系住民と少数派のカトリック系住民との宗教的対立や差別問題から生じたものです。紛争は拡大し、北アイルランド警察やイギリス軍が介入して泥沼化しました。1998年4月10日のベルファスト合意が達成されるまで、両派が武装組織を持ち、内紛は実に30年間にもおよびました。
ベルファスト合意
多くの命が失われた紛争を終わらせるため、トニー・ブレア英首相(当時)、ビル・クリントン米大統領(当時)らが主導し、1998年4月10日、ベルファスト合意が結ばれます。これによって北アイルランドは正式にイギリスの一部になりました。ベルファスト合意によって、住民の合意を得ることなく北アイルランドの地位変更を行わないこととされ、北アイルランドの住民はイギリス、アイルランド、あるいはその両方の国籍を取得できるようになりました。合意下では、和平を支援するべく、紛争当事者となったカトリックとプロテスタントの各勢力が共同運営する自治政府が作られました。この合意により、アイルランドは憲法を改正し、北アイルランドをめぐる領有権の主張を削除し、両国は最大の対立点である帰属問題について、北アイルランド住民に選択の自由を与えました。
現在の北アイルランド
かつて紛争が続いていた北アイルランドですが、今では観光にも力を入れ、中世の面影が残る美しい街並みを見ることができます。 しかしその一方で、街中の至る所でプロテスタント地区とカトリック地区を分隔てる分離壁があり、街を分断しています。
現在の国境付近
現在の国境近くには、かつて税関だったという小屋があるだけで、どこが国境かわからないくらいになっています。
かつて、カトリック系過激派とイギリス軍の戦闘が特に激しかった、アイルランドの国境付近の町のニューリーでは、今は内戦によって破壊された民家が残る一方で、イギリス軍の監視塔が建っていた場所ではマンションが建設されています。
合意後、住民らは通勤や買い物で自由に国境を往来できるようになり、北アイルランド住民はイギリスとアイルランドの両方のパスポートを持つことも認められるようになりました。現在、住民にとって国境は生活に不便をもたらすものではなくなっているようです。
首都ベルファスト
北アイルランドの首都であるベルファストの中心部を歩けば、ビルを建設する巨大クレーンが並び、タイタニック美術館などの観光業も急成長しています。犯罪率はイギリス平均並みに下がり、失業率も低下しています。伝統的に造船や繊維業が盛んな町でしたが、現在は観光業を含むサービス業が主な産業です。大きな名門大学もあり、若いエネルギーが溢れている場所でもあります。
北アイルランドの世界遺産
イギリスには、4つの世界自然遺産がありますが、その中で最も早く1986年に登録されたのが、北アイルランドにある、「ジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸」です。まるで地面から生えてきたかのような無数の石柱が海岸線を埋め尽くし、海から陸へと広大な石の道を作りあげています。約8kmに渡って続く断崖絶壁の海岸線に、火山活動によって生み出された4万もの石柱群はまさに圧巻です。この壮大な景観から、この地にジャイアンツ・コーズウェー、「巨人の石道」という名が付いたといわれています。
ジャイアンツ・コーズウェー
コーズウェー海岸
北アイルランド国境問題とは
世界的に注目を集めているイギリスのEU(欧州連合)からの離脱、いわゆるブレクジット。最大の難題はアイルランドとの国境問題です。イギリスがEUを離脱するに際し、唯一の地続きの国境であるイギリス領北アイルランドとアイルランド共和国の国境管理をどうするのかという問題です。現在は人や物の移動は自由に行われていますが、イギリスがEUから離脱することになると、明確な国境が存在することになります。北側は非EU(イギリス領地)、南側はEU(アイルランド領地)となることで、「境界線」に関しては非常に多くの課題が出てくると予想されます。EU離脱に伴い、国境管理が厳格になると時間と費用がかさむため、多大な経済的ロスが発生することもその内の一つです。
スポーツは国境を超える
ラグビーワールドカップで日本代表とも対戦したアイルランド代表。2019年11月2日時点のランキングでは世界5位のラグビー強豪チームです。
アイルランドの国土はアイルランド共和国とイギリス領の北アイルランドに分かれていますが、ラグビー協会(1879年に発足)は国が分かれる前から存在していたため、ラグビー代表チームはアイルランド共和国と北アイルランドの統一チームで構成されているそうです。長きにわたり紛争を繰り返し、宗教的・政治的混乱がある中でも、ずっと1つであり続けたのが、ラグビー代表チームです。アイルランド代表チームは、試合前、「アイルランズ・コール 『Ireland's Call』(アイルランドの呼び声/叫び)」を歌います。とても素敵な歌詞ですね。
「アイルランズ・コール 『Ireland's Call』(アイルランドの呼び声/叫び)」 |
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歌詞 | 日本語訳 |
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Come the day come the hour | その日が来た その時が来た |
Come the power and the glory | 力と栄光がここに |
We have come to answer | 我らは来れり |
Our Country's call | 祖国の呼び声に応えるために |
From the four proud provinces of Ireland | アイルランドの四つの誇り高き地方から |
Ireland, Ireland, | アイルランド アイルランド |
Together standing tall | 共に堂々と立ち向かえ |
Shoulder to shoulder | 肩と肩を組み合って |
We'll answer Ireland's call | アイルランドの呼び声に応えるのだ |
From the mighty Glens of Antrim | 巨大なアントリム峡谷から |
From the rugged hills of Galway | 岩だらけのゴールウェイの山々から |
From the walls of Limerick | リムリックの城壁から |
And Dublin Bay | そしてダブリン湾から |
From the four proud provinces of Ireland (略) |
アイルランドの四つの誇り高き地方から (略) |
歌詞にある「四つの地方」とは、西岸のコノート(コナハト/Connacht)、南部のマンスター(Munster)、ダブリンを有する東岸のレンスター(Leinster)、北のアルスター(Ulster)の歴史的な四つの地方のこと。国境とは別。)
最後に
紛争によって苦しめられてきた人たちにとって、国境を決めるということは命に関わるとても大切な問題なのかもしれません。 出口の見えないイギリスのEU離脱問題。経済的な利益も大切なことですが、人の命は何よりも尊く、現在の北アイルランドはそうした尊い命の上に成り立っているということを、この記事を通して、知っていただければ幸いです。「ラグビーの精神」を見習い、何よりも平和を最優先して解決してくれることを望みます。
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