今だから聞ける日米貿易摩擦の深層~歴史を紐解き本質的原因を探る~
2020/12/25
日米関係の鍵を握るのはなにか?
金融市場の見通しは不透明・・・(バブル期を除けば)どの時代の人もそう感じてきました。日本の金融市場は、米国との関係に大きく影響されます。これから日米の貿易摩擦の歴史を紐解くなかで、その本質的原因となるアメリカの行動原理とはどのようなものか、そして日米関係はどのように決まるかを学び、そこから日米関係の見通しについても考えてみましょう。
日米経済関係の歴史
(1)開国から敗戦まで
ご存じの通り、徳川幕府はアメリカが派遣した黒船に開国を迫られて、1854年鎖国を解きました。その後明治維新や米国の南北戦争が落ち着くと、日米間の交易は本格化していきました。日本の国力が拡大していく中で、朝鮮半島での利害が衝突する清国およびロシアと二つの大国との戦争がありましたが、日露戦争では米国で外貨調達に成功したことが日本の戦勝に大きく貢献しただけでなく、米国の斡旋で日露講和会議が開かれるなど、日米の外交関係は非常に良好でした。しかし、日露戦争後に満州鉄道の権益を日米で共有する仮協定を日本が破棄したことなどから、米国の対日姿勢は悪化していきました。経済面では米国にとって日本はアジア最大の輸出先であったものの、日本軍が東アジアでの支配力を強めると、米国は日本の在米資産を凍結しました。これにより基軸通貨ドルによる交易を封じられた日本は、金融市場と原油等の天然資源へのアクセスを絶たれ、日米開戦(太平洋戦争)に至りました。金融と物資の国際支援もない中で米国・英国・中国・ソ連を同時に敵に回してしまった日本は焦土と化し、敗戦時の経済は戦前の2割にまで落ち込むという惨憺たる状況になりました。
(2)占領下の過酷な経済政策
1945年9月2日午前9時、東京湾上で降伏文書に署名した日本の戦後が始まりました。同じ日の午後4時に示された布告案には、行政立法司法の三権は最高司令官のもとに行使され、公用語は英語にすること、占領軍の治外法権を認めること、米国の軍票を法定通貨とすること、など驚くべきことが要求されていました。日本は何とかこれを撤回させることには成功したものの、9月22日に公表された『降伏後における米国の初期対日方針』では、「日本の工業施設などは破壊または他国に移転され再建は許されない」という、日本人が何とか生きていけるだけの経済力以外認めない、懲罰的な方針が示されました。そしてこの占領は7年間の長きに及びました。
(3)日本が焦土から甦ることができたのはなぜか?
ところが、占領政策は東西冷戦で一変しました。第二次世界大戦で中国やソ連と協力して日独を撃破した米国は、米ソの対立が深まり、中華人民共和国が建国されると、共産主義に対抗する防波堤として日独(西ドイツ)を活用する方針に180°転換しました。1950年6月に始まった朝鮮戦争の特需によって、日本の鉱工業生産はその10月には戦前の水準を回復しました。1951年9月のサンフランシスコ講和条約により、その翌年日本は国際社会に復帰しました。米国の方針転換後に調印された講和条約は、敗戦直後の厳しい対日政策と比べて、日本に寛大な条約になりました。そして、そこからの我が国の高度経済成長の成功談は、よく語られる通りです。例えば、傾斜配分方式で経済復興の糸口をつかみ官民一体の産業政策が成功したこと、メインバンクのサポートにより企業が積極的に設備投資を行ったこと、多くの勤勉な労働力が農村から商工業地域に供給されたこと、右肩上がりの地価で生じた含み益を背景に資金調達が容易であったこと、高性能で割安な輸出製品、米国の巨大な市場へのアクセス・・・・・。独立から40年、東西冷戦下での日本経済は、まさに破竹の勢いで成長しました。
(4)日米貿易摩擦の発火点
戦前の東京で生まれ育ったライシャワー氏が駐日大使であった1960年代は、日米関係は蜜月期を迎えていました。ところが1970年以降1990年代の半ばにかけて、日米貿易摩擦が大きな問題となり、繊維・鉄鋼・自動車・テレビ・半導体・・・・・続々と米国から輸出規制の要求が突き付けられるようになりました。その発端を探ると、どうやら沖縄返還交渉の過程にあったようです。沖縄県には、当時も現在も米国が覇権を確保するため地政学的に最も重要な軍事基地が存在しています。その日本への返還交渉において1969年ニクソン大統領と佐藤首相は二つの密約を結んだとされています。一つは緊急時の核兵器の沖縄への持ち込みに関する密約です。もう一つが繊維製品に関する密約です。当時繊維輸入の規制は、ニクソン大統領が再選を果たすために譲れない大問題でした。しかし佐藤首相は、そこまで深刻な問題であるとの認識が甘く、密約であるゆえに「存在していない」繊維輸出規制を、国内の業界に対して説得することができませんでした。そのため1970年、日米政府間の繊維交渉は暗礁に乗り上げます。そして日本の繊維業界団体は翌年、こともあろうにニクソンの政敵である民主党の案に沿った自主規制に合意してしまいました。当然、ニクソンの怒りを買って日米関係は極めて悪くなりました。ニクソン大統領は、同年日本にとって忘れられない8月15日にドルと金の交換停止を発表し、ドル円の固定レートも変動制に変えて円高圧力をかけはじめました(ニクソンショック)。返す刀で1972年ニクソンが突如訪中し、共産主義の中国を承認する方向に180°外交戦略を転換すると、日本は大変なショックを受けました。しかし米国が台湾問題でもたついている間に、田中首相が米国に先んじて日中国交正常化を実現してしまうと、米国にとって日本は、抑止すべき対象とみなされるようになりました。
(5)対日攻勢の激化
米国は自由貿易圏の拡大を図ってきましたが、ベトナム戦争の戦費で財政と貿易の双子の赤字が累積すると、自由競争の理念を捨て、対敵通商法を交渉材料に日本に繊維製品の貿易の数値目標を要求してきました。対象品目は、鉄鋼・自動車・カラーテレビから半導体・スーパーコンピューターといった高付加価値製品に拡大しましたが、それでも日本との貿易赤字は減りませんでした。すると、日米構造問題協議において、経済構造の全体の変革を要求しました。そして主戦場は、金融面にシフトしました。図1【日米間の貿易と金融取引】のように日米の取引は、米国が日本から製品を輸入して対日貿易赤字を計上する一方で、日本は米国債などを購入(⇒米国から有価証券を“輸入”)して対米金融収支赤字を計上する構造になっています。1985年のプラザ合意後の円高ドル安政策で日本の輸出競争力を弱めると同時に、日本が保有していた米国債の円貨に換算した価値も減価させてしまいました。また日本企業の設備投資を支えた邦銀が、1988年にバーゼル銀行監督委員会で合意された自己資本比率規制(BIS規制)によって競争力を失ったことも、痛手となりました。1989年に東西冷戦が終息すると、米国の安全保障における最大の脅威として日本に矛先が向かう一方で、中国との宥和政策を推進しました。1990年代、邦銀は不良債権問題とBIS規制に直面し、貸し渋りと不良債権化とが悪循環に陥って、日本経済は急速に弱体化しました。
(6)米国の標的は、再び日本から中国にバトンタッチ
このように、日本の輸出競争力は貿易面での圧力には対応できたものの、金融面での攻勢によって大打撃を受けました。その後、国内工場への設備投資の減退と工場の海外移転、国民の可処分所得の減少や労働者人口のピークアウトによる国内市場の弱体化などで製造業が活力を失い、日本はもはや貿易黒字国ではなくなりました図2【貿易・サービス収支】。代わりに台頭したのは中国です。図3【国別に見た米国の貿易赤字】のように今日の米国の貿易赤字の半分近くは対中国です。米国は、2018年以降中国に対して貿易の数値目標や高関税を課し、知的財産権や為替操作国認定などを材料に揺さぶりをかけるなど、かつての対日攻勢のように再び180°転換しました。中国は米国に軍事面でも挑戦し、人権問題でも自由主義諸国と対立を深めています。こうした中で、米国にとって日本は全体主義国家に対する防波堤として再び位置付けられたと考えられ、最近の日米関係は改善しているといえるでしょう。
浮き彫りとなる米国の行動原理
駆け足で米国との貿易摩擦問題の歴史を見てきました。過去の米国の行動は、一貫性が無いように見えて、実はある行動原理に従っていることがわかります。すなわち、米国は最強の覇権国としての力を堅持するためには、対外的な政策を180°転換することに躊躇しないということです。第二次世界大戦では日独を抑えるためにソ連と中国を使い、戦後の冷戦下では、ソ連と中国を抑えるために日独の経済力を使いました。冷戦終結後、今度は日本経済を抑えるために国際的な資本規制や中国の力を使いました。そして中国が米国の覇権に挑戦しつつある現在、米国は中国を抑えるために、再び日本との関係を深める方向に転じているように見えます。つまり、米国の覇権に挑戦する国を3番手以下の国との連携で挟撃するのが、歴史に見る米国の一貫した行動原理といえるでしょう。
今後の注目点は何か
日米関係は、米国が認識する地政学的リスク、あるいは米国の覇権に挑戦する国によって決まってきます。現在は米中関係が鍵を握っています。冷戦終結後の米中蜜月関係は、すでに転換点を通過しました。歴史に学べば、米中の対立が続く限り、日米関係には追い風が吹くと見てよいでしょう。逆に、中国と対立する米国の頭越しに日本が中国市場に食指を伸ばした場合には、日米関係が冷却するという事も、歴史からの教訓です。政治と経済、どちらが国際関係の鍵を握っているのかといえば、短期的には経済環境が政治を動かしますが、長期的には覇権国の意思が経済環境を動かす、というのが歴史の答えです。
こうした日米関係の変化を味方にした国際分散投資を行うことは、投資家にとって重要な視点といえるでしょう。
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