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オイルショックで世の中どうなった?その原因と経済への影響を振り返る

2020/07/03

知恵のハコ

新型コロナウイルスの感染が国内にも広がり、世の中からマスクだけでなくトイレットペーパーなどの生活必需品、即席めんなどの食料品が品切れとなる状況が発生しました。トイレットペーパーの品切れ、と聞くと、今から45年以上前に起きた「オイルショック(石油危機)」を思い出された方もいるのではないでしょうか。ここでは、1970年代から80年代初めに起こったオイルショックについて振り返ってみたいと思います。

オイルショックとは何か?

1973年(昭和48年)10月、中東の産油国が原油価格を70%引き上げたことを受け、のちに「狂乱物価」といわれるようなインフレが発生したことを第1次オイルショックと呼んでいます。これによって発生した激しいインフレを抑えようと、日銀は公定歩合を9%まで引き上げました。この金融引き締めによって景気が悪化し不況に陥ることになりました。
その後、1970年代末から1980年代初頭にかけて、原油価格は再び高騰しました。1978年にOPEC(石油輸出国機構)が段階的に原油価格の大幅値上げを実施したことに加え、1979年2月のイラン革命や1980年9月に勃発したイラン・イラク戦争の影響が重なり、国際原油価格は約3年間で約2.7倍にも跳ね上がりました。これが第2次オイルショックです。この時もインフレが起こり、国内景気が減速することになりました。

オイルショックが起きた原因

オイルショックのきっかけはその名のとおり原油価格の上昇で、当時中東地域で勃発した紛争がその要因になっています。第1次オイルショックの場合、1973年10月にイスラエルとアラブ諸国による4度目の戦争である第4次中東戦争が勃発しています。この戦争でOPECのメンバーであるサウジアラビア、イランなどペルシャ湾岸6ヵ国が原油公示価格を70%引き上げたのに加え、中東戦争の敵国イスラエルとその支持国に対する石油供給抑制を狙いとして石油採掘の削減と同国を支援する米国やオランダに対して石油の禁輸を決めました。これにより原油価格は3ヵ月で約4倍に高騰しました。このようなペルシャ湾岸諸国が石油を武器として利用する戦略は、石油資源の大半を輸入に頼り、かつその多くを中東地域に依存していた日本経済にとって大きな打撃となったのです。

イメージ

第1次オイルショック時の消費者の行動

1973年10月中旬ごろ、当時の中曽根通産大臣がテレビ番組内で「紙の節約」を呼びかけたことから、10月下旬にかけて「紙が無くなるらしい」という噂が全国に広まったといわれています。そして11月、大阪市のスーパーで発生したトイレットペーパー買い占め騒ぎが報道されたことをきっかけに、日本中の小売店の店頭から洗剤、砂糖、塩、しょう油までもが消えることになりました。トイレットペーパーの価格は、1.5倍程度まで上昇し、3倍から4倍の値段をつけても売り切れたといわれています。
これらの混乱を受けて政府は買い占め自粛を呼びかけ、11月12日にトイレットペーパー等の紙類4品目を「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律に基づく特定物資」に指定、さらに翌年1月の国民生活安定緊急措置法の指定品目に追加し、標準価格を定めました。これらの施策を受けて、3月にやっと騒動は収束したのです。

物価にどんな影響があったか?

オイルショックによる原油価格の値上がりはガソリンなどの石油関連製品の値上げにもつながり、ひいては物価が瞬く間に上昇することになりました。第1次オイルショック前4.9%だった消費者物価指数(前年比)は、1973年は11.7%、74年にはなんと23.2%まで急伸しています。急激なインフレはそれまで旺盛だった経済活動にブレーキをかけることになりました。72年の経済成長率が前年比+9.1%だったのに対し、73年は同+5.1%と急減速し、74年には同-0.5%まで落ち込むことになったのです。

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出所:総務省のデータをもとにアセットマネジメントOne作成

このショックを乗り切るために政府はさまざまな対策を実施しました。「石油節約運動」として、国民には、日曜ドライブの自粛、高速道路での低速運転、暖房の設定温度調整などを呼びかけました。いわゆる省エネルギーに関する施策です。ちなみに、石油、電力、ガスなどのエネルギーの安定供給政策や新しいエネルギー、省エネルギーを所管する資源エネルギー庁が当時の通産省内に設置されたのも1973年のことです。

第1次と第2次の違い

1970年代末から1980年代初頭にかけ原油価格は再び高騰し、3年間で約2.7倍にも跳ね上がったのが第2次オイルショックです。国内では再びインフレが起こり経済成長率も減速することになりました。しかし、第1次オイルショックでの経験からこの時は国民も冷静な対応をとり、前述したような買い占めのような社会的な混乱はほとんど起きることはありませんでした。
2度のオイルショックを経験した日本では、エネルギーの安定的な供給の確保が最重要課題であると改めて位置づけられました。1970年代から1980年代にエネルギーに関する3つの施策(安全供給・経済性・環境)が打ち出され、これらの基本的な考え方は現在にも受け継がれています。日本が世界に誇る省エネの歴史は、このオイルショックから始まったといえるでしょう。

ここまで、オイルショックという出来事について振り返ってみました。オイルショックの経験は、コスト意識の高まりから日本企業に体質転換を図り、エネルギー多消費を改め、省エネルギーの推進をしていくようになりました。製造業もそれまでの製鉄、造船などの重厚長大から電気機械や自動車へとけん引役が変わっていくことになり、資源が乏しい日本が、自動車のような製品づくりで付加価値を生み出し輸出国としてさらなる経済成長を果たしていくことになるのです。

今年起こった新型コロナウイルスの感染拡大も、これまでにないような大きなショックを世の中に与えています。オイルショックがエネルギーに関する転換点となったように、これがきっかけとなって今後のビジネスのあり方や生活の様式が大きく変わっていくことが考えられます。今回のコロナショックがどのようなものの転換点になるのかまだまだわかりませんが、起こる変化に私たちも冷静に対応できるよう心掛けていく必要があるでしょう。

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